※この話のアーカード氏は吸血鬼らしく数には病的です
父親の死後、屋敷と特務機関を継いだ事情で良家の子息や子女が通う割とお堅い校風の通学制度の学校に移ったインテグラだったが、それでもそこは同じくお堅いとは言え以前の全寮制の学校とはかなり違った校風だった。
もちろん通学は制服だったが、生徒は勉学と同じくらいファッションやおしゃれにも興味があって、その手の情報にはとんと疎い歳若い当主は、話題になかなかついていけなかった。
ようやく何人か知り合いも出来た頃、親しくなった少女がつけていた防寒用にしては華奢なストールを見て、珍しくインテグラは「素敵だな、それ」と素直に声をかけたのだった。
「やっぱり、自分でやるのは無理があるんだろうか?」
少女は出動がなかった夜の任務を終え、割と早い時間に私室へと戻っていた。
ゆっくりとお湯につかり、ゆったりとしたパジャマに着替えた少女は、メイド頭が準備してくれたそれを握り締めて、「あぁ~~、面倒くさいッ!」と言うと、ソファの背凭れに身体を預ける。
「あぁ、もう!やっぱり任せるんだった」
そう言った少女はメガネを外して眉間を揉み解しているうちに何やら強烈な睡魔に攫われ、そのまま深く眠ってしまったのだった。
「いい月夜だ」と呟いた男は出動も無く暇を持て余し、自分の主が所有する敷地内をふらふらと彷徨った後、庭園に入り込み、薔薇の植え込みを散らして荒らし、花々の無残な断末魔を聴きながら遊んでいたが、この遊鬼はそれにも直ぐに飽きてしまった。
次は屋敷の内に戻って、図書室で何か手慰みは無いかと書物を色々物色してみたが目新しいものも無く、また暇を持て余す。
主である少女から「私の領土から勝手に外出しては駄目よ、アーカード」と約束させられた不死者の王は、健気にも忠実にその約定を守って、その領土から勝手に外へは出ないのだった。
では、主の私室に続く書斎に行ってみるか。・・・・・・いや、こんなに暇なのだ。従僕を満足させるのも主の務めなのだから、今夜はあの少女に遊んでもらおうか?そう想いながら男は白皙の口元に美しい笑いを刻み、主の部屋に向かうため、部屋の闇へとその巨躯を潜ませるのだった。
アーカードが女主の部屋に忍び込んだ時、いつものような叱咤はなく、ソファからは少女の健やかな寝息が聞こえるのみだった。
部屋は吸血鬼を魅惑して捕囚にする、妖艶さを隠し持つホワイトローズのような少女の薫りに満ちていて、吸血鬼の男は甘やかな寝息とその香りに眩暈がしそうな錯覚を覚える。
そうなのだ。いつもこの歳若いヘルシングの血を持つ娘は、自分を魅了して止まないのだ。
ソファの肘掛に頭を置きうたた寝している少女の長いプラチナゴールドの輝きを放つ絹糸のような髪は、床へと無造作に散らばり、窓から射し込む月明かりを受けてキラキラと反射している。
大きく胸元の開いたパジャマからは、少女の成長しだした胸のふくらみが半分ほど覗いていて、男は少女のナイトウェアの襟元を緩めて、薄紅色をしているだろう頂きを覗きたい欲求に駆られた。
広げられた襟元からは、蜂蜜色の陶磁器のような滑らかな肌が覗き、そしてその襟元から覗く気高い首筋は、白鳥のような美しさを湛えている。
美しく気高い首筋。
その下に脈打つ、極上の鼓動と血潮。
その喉元に喰らいついて、血を啜り上げたい。
温かい少女の喉に牙を突き立てれば、どれ程の素晴らしい悦楽が得られることだろか?
吸血鬼は主の少女から目が離せなくなる。主の少女は、処女の硬さと純潔を持ち合わせ、気高い首筋を晒して無防備に眠っているのだ。
この娘との血の契約を違えれば、自分の身に何かしらの不都合は起ころうが、それでもこの娘の血を吸いたい。この稀に見る、面白くて、高潔で、強情な少女を自分のものにしたい―― 男は目を血塗られた色に瞬かせ少女に歩み寄る。
側に寄れば少女の薫りは更に増し、その美しい首筋は牙を立てずには居られない吸血欲を湧き立たせる。
少女が起きれば仕方が無かろう―― しかし、目が覚めねば、このまま牙をつき立てて血を啜り上げ、己の眷属とすればよい。いや、血の契約が続行されるなら、眷属でありながら主、主でありながらも従僕という、倒錯した間柄になるのかもしれぬ。
そう想いつつ男が、顔に人外のものが持ちえる妖艶な美しい笑いを刻んだ時だった。カリッという音と共に、吸血鬼の男は、自分が何か固くて小さいものを踏んだことに気がついた。
「・・・・・・何だ、これは?」
見れば床一面にそれは散らばり、フロアライトに照らし出されて眩いばかりに光り輝いていた。
「水晶?いや、ダイヤモンドか?」男はそれを一粒指に摘み、月明かりへとかざして見る。
透明のそれはダイヤモンドではなくクリスタル。とても美しいクリスタルのビーズ。よく見れば、それは透明のもののほかに、少女の瞳より少し濃い紺碧のものも含まれていて、テーブルの上にもそれは、ばらりと撒かれていた。
たぶんそれはテーブルに置かれたふたつの箱に、色別に収まっていたのだろう。しかし少女が握り締めるストールが、その箱を倒し、中身をぶちまけてしまったのだ。
ストールを握り締めたまま眠ってしまい、その手を振り回してテーブルの上のものをぶちまけたのだ・・・・・・そう考えた吸血鬼は、まだまだ寝相が悪い子供のような少女に嘆息する。そして、キラキラとダイヤモンド以上に反射する、美しいスワロフスキーのクリスタルビーズに、目が釘付けになるのだった。
「・・・・・・344個、345個、346個、347個」
―― 何だろう?耳元に近いところで、声がする
それも錆びを含んだ低いがよく通る声。耳に心地いい男の声だ。
「348個、349個、これで350個」
それは、明らかに自分の従僕の声。間違いなくアーカードが何かカウントしている声だった。
―― 何だろう? あいつが何か数えているわ
そう思いながら少女は褐色の瞼を押し上げて、薄く目を開けて声のする方を覗き見る。するとアーカードが自分が横たわっているソファの横にかがみこみ、インテグラがストールに縫いつけようと奮闘していたスワロフスキーのビーズを拾い上げながら数えているところだった。
――― ええっ!!エッ、なにコレ、えらくシュールな光景だわっ!
少女は、整った白皙に刻まれた薄い唇から乱杭歯を覗かせて、真剣な目つきで床やテーブルにばら撒かれたビーズを数えている自分の下僕を見て驚愕を覚える。
こんな風にうたた寝をしてしまうまで、自分はストールにビーズを縫い付けていたのだ。
今日、学校で会った知人がしていたストールのビーズがあまりにも綺麗だったので声をかけたところ、そのビーズは少女が自分でストールに縫い付けたのだと、はにかみながら可愛らしく笑って教えてくれたのだった。
ならば自分もやってみよう!!そんな女らしい器用さとは全く無縁なお嬢様のインテグラだったが、たまにはそんな気を起こして挑戦してみたのだ。・・・・・・だがやはり人間には『向き、不向き』があるらしい。
あっと言う間に挫折して寝入ってしまっているうちに、自分は握り締めたストールを振り回してテーブルの上のビーズの箱を倒してしまったのだろう―― と、インテグラは推測する。
しかし、そこまで推測したはいいが、薄くあけた瞼の隙間から見えるシュールすぎる光景に、それ以上目をあけることも、身動きすることもインテグラは出来ずに居た。
―― 吸血鬼避けに寝室の床に細かいものを撒くって言う伝承は、ウソじゃなかったのね。米や塩や芥子の粒を撒いて置くと、吸血鬼はそれを数えずにはいられない。血を吸うことなんか、そっちのけになるって、本当なのねッ!!!
少女は機関や屋敷に保存されている吸血鬼に関する民間伝承が真実であるのを、この時初めて知ったのだ。
吸血鬼は数にとても几帳面な特性を持っているらしい。日光が苦手、流れ水が渡れない、ニンニクの花の香りも苦手、眠るときは棺桶か石櫃・・・・・・などなど、色んな伝承があり、不死者の王と呼ばれる自分の従僕も、そのセオリーから逃れられないのは知っていた。だが、しかし・・・・・・
―― まさかカウントしなきゃ気が済まない几帳面な性分だったなんて!?今、始めて知ったわ!
少女は薄目を開けて、真剣にカウントしている自分の従僕を眺め見る。そしてふとインテグラは思い出した。それは子供の頃によく見た、某国のマペットを使った子供向け番組を髣髴とさせる情景。
血の気の無い顔色に黒髪に黒ひげ。黒いタキシードに、濃いグリーンのマント。尖った耳とするどい牙。トランシルバニア生まれのそのマペットは、アメリカのペンシルバニアにやって来て、人里離れた古城に住み、蝙蝠たちと一緒に暮らしている。それはドラキュラ伯爵の風貌で、そのマペットは気品あるヨーロッパ風の英語を話すのだ。
趣味はカウント。蝙蝠や雨だれの音、何でもかんでも数えてしまう。そして数え終わると「ハッハッハッハァ~~」と高笑いし、雷鳴轟き稲妻が光るという愛嬌のあるキャラクター。
―― Count von Count。あれって、「伯爵」と「数をかぞえる」っていうカウントの両方にかけたシャレだと思ってたんだけどなぁ~ 『伯爵』とよばれた男が実際にカウントしたら、それってカウント伯爵そのまんまだわ。シャレにもならないわ。あれかしら、やっぱりこの男が数え終えたら、雷鳴が鳴るのかな?
不死者の王、最強で最狂の吸血鬼と恐れられる、『伯爵』と呼ばれた男。こいつって本当に、カウント伯爵のモデルなんじゃないのかしら!? そんなことを考えた少女は腹の中でケラケラと笑い出す。
しかし、この男は自尊心の高さも矜持の高さも並ではない。主とはいえ、年端も行かない少女に笑われたら、うんと気を悪くするだろう。そう考えた優しい少女は、必死の想いで笑い声を押し殺すと、ゆっくりと目を開けて従僕をじぃっと見つめるのだ。
「・・・・・・399個、これで丁度400個」
其処まで数えてから、彼は自分を見つめる少女の視線に気が付き、顔を上げて目を細めると、眩しそうに自分の主である少女のブルーアイズを見つめ返したのだった。
あれ以来、怪しそうな晩には寝室の床に米粒を撒くのを忘れなかったインテグラ。
確かに伝承通りにその効果はあったようで、撒かれた米粒をカウントせずにはいられない男の小声で、深夜に目が覚めるたび、笑いを堪えるのに必死だったものだ。
しかし、うっかり吸血鬼避けの民間伝承を怠った晩や、私室のソファでうっかりと寝入ってしまった晩は、自分が囲う吸血鬼の執拗な熱情に翻弄される羽目に陥るのだ。
やはりこの男のカウント癖は、それにも発揮されていて、一夜のうちにインテグラが頂った回数も、自分が主人の温かく奥深い秘所に放った欲望の回数も数えているのには辟易したが、もっと恐るべきは、インテグラの破瓜の痛みを迎えたその夜からの情を重ねた回数を、ずっとトータルして数えていることであった。
血の色の瞳をすぼめて冷酷に近い顔つきに皮肉な笑いを刻んで、今までに重ねた情交の回数を言ってのける自分の従僕に、いつも寒気を覚えるインテグラなのだった。
まさか今宵。この三十年後の晩に、こいつが帰ってくるとは思わなかった。
セラスは「帰ってくる」と言っていたが、自分にはその気配は全く感じられなかった。寝室に米粒も塩粒も撒かなくなってもう三十年にもなる。
おっかない女指揮官に惹かれる勇者や猛者、はたまた怖い者見たさの無謀な男どもが寝室にまれに忍び込もうとすることはあったが、人間の男には米粒や芥子粒を撒いても当然効果はない。言葉と態度で示してもわからない人間には、剣と銃で知らしめてやるしか方法はないのだ。
もう、これほど歳を重ねた自分は、寝室に吸血鬼避けのまじないなどすることはないだろうと、正直そう思っていた。そして、もう二度とあの傲岸不遜な自分の飼う吸血鬼の男に逢えないのではないかと、密かに憂慮もしていた。
そして、三十年を経た今宵、それも、こんなおばあちゃんになった自分の首筋に惹かれてあの吸血鬼が牙を剥くとは、予想だにしなかった。
―― いったい、こいつの好みと許容範囲はどうなってるんだ?!
そう思ったが、それ以上にこの男が相変わらず数には几帳面なのには、思わず吹き出しそうになったのだ。
3,424,867人。この男は相手を屠りながら、その殺した数をずうっとカウントしていたのだ。
相変わらずの吸血鬼だなぁ~そう思いながら、インテグラは自分の右手の薬指から、この従僕に授けるための赤い血をこぼす。
『おかえり。私の可愛いカウント伯爵』
最狂で最強、暴力そのものの凶暴な血みどろの吸血鬼なのに、逃れられないセオリーを数多く背負ったその化け物を見た女は、少女だった頃を思い出し、自分の元に帰ってきた伯爵に、その夜、満足げな笑みをこぼすのだった。
(さらに数を数えてみる?的な産物あります→続編「几帳面」)
2008.10.10のブログより