白い部屋 のハウスダスト的産物です。


「おぃ、何の話だって?局長さんがどうしたって?」

隊長の誰何(すいか)に、男どもは一瞬ビクッと身を縮めた。

『化け物殲滅の特務機関に雇われている傭兵たちが、何やら目の色を変えて噂話をしている?』

傭兵どもを率いる隊長は、黄昏時の演習が始まるまではまだ余裕がある時間帯に、たむろしていた男どもの話をそれとなく盗み聞きしていた。この男どもが熱中する話といえば、新しい人殺しの兵器の話か、美味い食い物と酒の話。そして色気に飢えているこいつらは、女の話に目がない―― と相場は決まっている。

この国で午後のお茶の頃合いと言われる時間に、近頃やけに医務室を訪れる野郎どもの姿が目につくな?と思っていたのだが、それはこの噂話と関係があったのか!と、傭兵隊長は腑に落ちた。

しかし、出てきた名前は、あの可愛らしい嬢ちゃんの名前ではなく、強面の鉄の女と称されるこの特務機関の長だったのだ。たむろしていた男どもは、自分たちの上官である隊長の誰何に、一瞬ビクッと身を縮めたが、その声の主を確かめると、『見つかっちまったか』と言う表情は作ったものの、その噂話をニヤニヤしながら話して聞かせてくれた。

「それがこう微妙に艶っぽくって、何ともいえない色香があるんでさぁ~」

「あのお堅くて冷たい指揮官さんが、あんなに女っぽい艶があるなんてなぁ!目の保養ですぜぇ~」

「ありぁ、あの美形の若い看護士をだいぶ意識してますよ。なんつぅか、こう、ちょっと頬染めて俯いたところなんか、押し倒したい清純さがあるんです!」

痩せてもいないし、もちろん太ってもいない、鍛え上げたバランスのよい肉体と鋼の精神力で化け物に対峙する女指揮官は、氷の顔(かんばせ)を持つ怖い女戦士のような凛々しい存在だが、それと同時に近寄りがたい貴種の女でもあった。

その氷の冷たさが少し和らげば、歳相応の品のある美貌と色香が目立つ女性(ひと)なのかもしれないなぁ~くらいのことは想像できるのだが、こいつらにはそれは相当に意外だったようだな―― と、隊長は腕組みをして考えた。

しかし、相手はあの局長なのだ。軍や警察とも渡り合える度量と実績がある上に、その女はあろうことかあの旦那を「下僕」として従えているのである。

あの近づきがたいお堅い女上司の素顔を垣間見ているのは、きっとこの屋敷に長いこと仕えるごくわずかな者だけだろう。あの恐ろしげな吸血鬼も、局長の素顔を「垣間見ている」部類のものに違いない。いやむしろ「垣間見ている」と言うのではなく、あれは鉄の女の本心を曝け出させることにご執心といった感じに思える。

いつぞや女王様タイプの女がえらい好みだという配下の傭兵が、局長さんにちょっとばかしちょっかいを出したところ、あの吸血鬼はそれはあからさまに牽制したらしい。

下僕っつうのは、主人のそう言った護衛の役目も務めなくちゃいけねぇのか?!と不思議に思ったのだが......多分、それは違うのだ。あれは「下僕の務め」とは違うものなのだろう。

そういやぁ、ちょっかいを出したあの男、しばらく再起不能だったよなぁ~そんなことを思い出しつつ心の中で十字を切った隊長は、『お前ら、そんな噂話してんのを、あのおっかねぇ吸血鬼に見つかったら、ブチ殺されんぞ。』と、密かに思う。

これは危機を察知する能力に長け、人の上に立つ指揮官の能力を備えた男の勘。あの化け物の中の化け物と言われる吸血鬼の男の思考など絶対に理解できないし理解したくもないのだが、これだけは分かる。『そんな、可愛らしく艶やかな局長さんを見たら、絶対にヤバイ!』と。それを見て良いのは、きっと限られたものだけなのだ。

「お前ら、そんな噂話はあんまりするもんじゃねぇぞ?文句のつけようがねぇ貴族様、それもこの屋敷の当主様だ。そんな高貴な女性(ひと)のプライベートな話題を傭兵風情にされるのは、気にくわねぇっう屋敷の輩(やから)だっているだろうよ。ここには、畏怖すべきものだって居るんだからな」隊長は、懐から煙草を取り出しそれに火をつけ深く吸い込むと、たむろしていた男どもに忠告した。

するとその場に重苦しい沈黙と、異様な緊張感が走る。皆、「畏怖すべきもの」に、何やら思うところがあったらしい。先程とはうって変わった悲壮感のある葬式帰りのような顔を傭兵どもは浮べると、沈黙のまま三々五々に散っていくのだった。


しかし、人の噂というものには、古今東西オヒレがついて勝手にそこいら辺を飛び回るものなのである。


数日後、明るい熟れた小麦色の髪を持った、豊かな肢体を持った可愛らしい乙女の部屋に傭兵どもが押しかけていた時のことであった。

「そう言えば局長さん!医務室の美形の看護士に惚れ込んで愛人にしてるらしいぞ、なぁ嬢ちゃん知ってたか?!」と、誰かが酒の勢いで大きくなった声で、可愛いドラキュリーナの肩を叩きながらそんなことを言いはじめたのだ。

「えぇッ!!インテグラ様が?!ありえないですよ、それ」

肩を叩いた手が尻を撫でる前にその手を掴み捻り上げながら、セラスも負けじと大声を出す。

「それが大有り!!毎日医務室に通って頬染めて俯きながら、看護士に撫でまわされるのを喜んでるんだぞ!俺はこの目で昨日見たんだからな!ああ言うお堅い女に限って、以外にやるもんだぞ?!」そう答えた傭兵はガハガハと下品な笑い声を上げて、さらにシングルモルトを呷った。

その会話を聴いていた隊長は、ぶはっ!と勢いよく酒を噴き出す。

『おいっ!その話題は止めた方がいい、絶対に!ここは地下だぞッ!!地下って言えば、あの旦那の領分だろ?!化け物には人間以上の聴覚があるっていうじゃねぇか?』

見ればこの間たむろしていた数名が、「何かマズイんじゃねぇ、ここでその話は?」と思ったらしく、顔を見合わせている。そんな数名の傭兵の思惑など知らぬドラキュリーナは、大きな声でのたまった。

「インテグラ様が、看護士の男を囲って愛人にしてるんですかぁ?!絶対にありえないと思うんだけどなぁ~ 私はこの目で見なきゃ信じませんから!」

セラスのその言葉が部屋の壁にわずかに共鳴して、すぐの事だった。

部屋の床から黒々と染み出した影の中から蝙蝠たちが勢い良くバサバサと噴出するように現れ、、それが集まって巨大な化け物の男の姿が立ち現れるまで、ドラキュリーナの部屋は阿鼻叫喚に満ち溢れることになる。

そして立ち現れた禍禍しい巨躯を持った不死の王が、目を光らせて辺りを睥睨すると、そこに居た者達は、皆生きた死人のように青ざめて恐怖に打ち震えるのだった。



インテグラは足音を荒げてズカズカと、地下への階段を下りていた。

物騒なことに右肩にはサブマシンガンを担ぎ、左手には愛用の剣。普段から凛々しい女の顔は、今や憤怒に染まった狂戦士の如き顔だった。

目的の部屋は、あの男の棺桶が置かれた地下の奥深くの部屋。

薄暗く寒い階段を下り、仄かに足元灯だけが灯る回廊を急ぎ足で歩くと、その男の部屋へと続く大きく重い鉄の扉が現れる。

その重い扉を憤怒の形相で押し開けた女は、今その漆黒の棺の中から立ち上がったばかりの男と対峙するのだった。

「おはよう、インテグラ。私に逢いにわざわざ地下までご足労とは、それほどこの化け物の男が恋しかったのかね」

起きたばかりなのか、緋色の帽子も昼色のサングラスも身につけていない男の表情は、白皙ながらもに笑みをはいた美しいもの。口には幾分皮肉気な笑みも含まれていたが、男は女主の顔が起きぬけに見られて嬉しげな様子だった。

その忌々しい減らず口に女は眦を吊り上げ、声低く下僕の男に言い募った。

「お前、医務室の看護士に何をした?ショックが大きすぎて仕事どころか口を利くことすらできんのだぞ!!部隊内の者とは言え、あの男に何をしたんだ!?」

「あぁ、そのことか。あの男には、単にただ、『挨拶』をしただけだ、我が主」男は口に皮肉たっぷりの笑いを作り、そう主の女に答えた。

その途端、インテグラの肩にあったヘッケラー&コッホ社のモデルMP5サブ・マシンガンが火を噴く。クローズド・ボルトで発射するそれはモデルMP5サブ・マシンガンとしては命中精度が優れており、轟音に近い音を立てながら特殊部隊でも使われるその命中度で、強大な吸血鬼の男を弾丸で裂き、血まみれにした。

男が避けることも無く甘んじてその弾丸を受け止め、ボロ雑巾のようになった姿で棺へと沈み込んだが、やはりこの男は化け物なのだ。その切り裂かれた死体から、「おい、主。今日は、随分と機嫌が悪いのだな」としゅうしゅう、ぜいぜいと喉と肺から空気が漏れるような音と共に、男のささやくような声が聴こえる。棺の縁にかけられた腕はボロボロだったが、見る見る内に再生し、そうする内に男の上半身が棺から起きあがった。

「こんなものが、私に効かぬのは解っているだろう、我が主。いったいお前は何をそんなに怒ってるんだ?」

白皙の額から血を流した無表情で、男はそうインテグラに訊きながら立ち上がり、棺をまたいで両腕を広げてゆっくりと自分の主に歩み寄る。

この男はどれだけ強大な力を内包しているのだろう。

もう、身体のほとんどが再生を終え、ボロボロだった衣類も、ほぼ復元していた。

「あの若造を、それ程に入っているのかね、お嬢さん?」

「そう言う問題じゃない!!お前はこの機関の人間を廃人にするところだったんだぞ?私の従僕が人にそんな害を加えて良い筈がないだろうが、馬鹿ものめ!」

今の男の顔は、秀麗な無表情。しかしインテグラにとっては、どう見ても腹に何がしかの思惑を湛えていそうな面構えにしか見えない。アーカードがこんな無表情な表情の時は、あまり良くない兆候なんだ―― と、女主は油断しないように気を引き締めて剣を構える。

「害など加えておらん。廃人にならないよう、手加減もした。何が問題だ、我が主?」

顔は無表情なのに声音には艶がある男は、手を広げたまま自分の主を追い詰めるようにゆっくりと歩んでくる。漆黒の魔がしいものが両腕を広げて、自分に迫ってくるのを見た女は、鞘を抜き白銀の刃を構えた。

「何が問題だ?と、抜かすのか、この愚か者! お前のせいで、医務室には別な看護士を雇い入れなければならなくなった上に、辞めたいというあの看護士の精神的ケアもせねばならんのだ! 全くもって何と言うことだッ!!」

「なら、そうしたらいいだろう。それで万事解決だ。何も問題は無い」

男は無表情なままインテグラに近づき、その剣先が触れる位置にまで接近した。

「おいッ!それ以上、近づくなアーカード。近寄ると突き刺すぞ!」その主の言葉に吸血鬼はニヤリと嫌な笑いを浮べ、口の端を吊り上げた。

「どのようにでも、我が主。お前の従僕だ、好きなようにすればよい」

男は身体をズイっと大きく一歩前進させると、敢えてインテグラの剣に自分から突き刺さるように歩みを進めた。彼女は一瞬戸惑ったが、それでもこの化け物に侮られてはならぬとばかり、その剣を両手で握り締め、力一杯突き入れる。

しかし、それが男の手なのだ。吸血鬼は広げていた手で女主の体に手を掛け、その両肩を掴むとぐいっと女の体を引き寄せる。

剣は深々と死人の肉を刺し貫き、柄をしっかりと握っていた女は、化け物から抱きしめられるように拘束された。

「放せ、この吸血鬼!!触るなッ!!」

案の定暴れだした主を薄く笑って見下ろしながら、男はその酷薄そうな口元を女の熱を持った耳へと近づけた。

「お前の刃はよく手入れされているな。女に突かれるというのも、悪くない」男は乱杭歯を覗かせる嫌な笑いを見せて、女の耳元でささやいた。

「さて、実は私からも主に、少々尋ねたいことがあったのだ」

男に地下室で抱きすくめられた女は、怒りの表情を浮べたまま、自分の従僕を間近で仰ぎ見る。

「あの医務室の若造がお前の愛人だと部隊の人間は噂しているようだが、それは真実(まこと)か、我が主?」

「なっ!?なんだって?あの看護士が私の愛人??そんなことがある訳がないだろう!馬鹿かお前は!」インテグラには、そんな噂があったなどとは寝耳に水。しかし、従僕はさらに女に言葉を重ねた。

「では何故、あの男がアルコールで消毒するたびに頬を染めて俯くのだ、お嬢さん? 採血されたりゴムチューブで縛られたり話し掛けられる度に肌を紅潮させて恥ずかしがるのは、いささか解せんと事だと私は思うのだが」

この男は、私の治療を覗き見していたというのかッ?!―― インテグラはその事実に驚愕し、羞恥を覚える。

「そっ、そんなことはないッ!!恥ずかしがってなどいないぞ!!」

まさか、あの看護士の顔つきが下僕のお前に似ていたからだと。その声などは、お前が私を誑かすのに使うような艶めいたベルヴェットボイスにとてもよく似ていたからだと。そんな事はインテグラにとって、あまりにも言いたくないことだったし知られたくもなかった。

―― お前が私に毎晩する厭らしいことを思い出したせいで恥ずかしかったんだ!などと、言える訳がないだろうッ、この色ボケ吸血鬼が!!

当然そんなことを下僕に言える訳もなく、女は顔を紅潮させてそっぽを向く。

それは何故か艶を含んだ仕草で、下僕の猜疑心を増長させるものでしかないのだが、女主はそんなことに気付く訳など無いのだ。

男は顔を背ける女の耳朶を甘く噛みながら、さらに言い募る。

「ではなぜ今も赤くなってそっぽを向くのだ? お前の鼓動は早鐘のように打ち鳴らされ、血潮も雨後の河のように激しく流れているぞ。ほら、そう言っているうちに体温まで上がってきたではないか。インテグラ、いったいお前は今、何を思い出しているんだ?」

男は死人の冷たい舌を女の複雑な形をした耳穴に這わせ、奥へと進ませる。彼女はその刺激に戦慄きながら、首を竦めて抗議の声を上げた。

「やめろッ、んなところに舌を入れるな、馬鹿っ!」

幾分甘さを含んだその抗議の声に、男は薄く笑う。

「女の耳というのは、男の舌のために存在するものだ。お前の耳はとても心地よい熱情を孕んでいる。舌だけでなく、私の硬くなった欲望をここに擦り付けたいぐらいだ。」

インテグラは、下僕が語ったその仕草を一瞬頭の中で想像してしまい、さらに肌を紅潮させて俯くようにして男から逃れようと身を捩らせる。しかし、この男がそんな抵抗すら許すわけが無いのだ。

吸血鬼の手は手際よくジャケットを肌蹴け、衣擦れの音をさせてタイを解き、手馴れたしぐさでシャツのボタンを器用に手袋をしたままで外す。そして躊躇無く下着の隙間に指を挿しこみ、女のたわわな乳房を指先で刺激し始めた。

男の手袋の硬い質感の刺激に反応した胸の頂きに指をあて弾くと、思わずわき起こるその感覚に、インテグラは身を仰け反らせる。

そんな風に艶やかに身を捩った女の耳へと、従僕はさらに卑猥な言葉を注ぎ込んだ。

「胸の頂きが淫らに立ち上がっているぞ。ここを弄られるのが快いんだろう、インテグラ。乳房を男の手で揉まれると感じるのだろう? あの若造にも、ここを揉ませてやったのかね? あの男は、我が主の硬く尖ったこの先に舌を這わせて、優しく愛撫してくれたかね?」その艶のある声を耳にして、女は顔を紅潮させたまま激怒した。

「もぉーーッ!!なぜ私が、あの看護士と乳繰り合わなきゃいかんのだ。世迷い言も大概にしろよ!お前のせいだ、全部お前のせいだぞッ、アーカード!お前がいつもそんな卑猥な......厭らしい下らん事ばかりを私に吹き込むせいだ、この馬鹿! 私が赤面しながら看護士に反応してしまうのは、全部お前のせいだ、このバカッーーー!!」女は眦を吊り上げた青い瞳で吸血鬼を睨み、頬を怒りで上気させてそう叫んだ。

「―――― 私のせいだと?」その怒りに燃える青い瞳を見つめながら、吸血鬼は首を傾げて赤い瞳を細める。

男はしばらく思案気に目を細めたまま、それでも女の乳房に指先を這わせていたが、「お前は、あの若造と一緒にいると私の言葉を思い出してしまうと、そう言う事なのか、我が主?」と訊くと、口の両端を吊り上げた妖しい笑いを浮べた。

「......そうだ、この馬鹿!もういいッ、放せ!お前なんか、大嫌いだ!!」

真実が吸血鬼にばれてしまった女主は蜂蜜色の肌を更に上気させ、その瞳を硬質だが艶も秘めた微妙な色合いに変化させた。しかしその女の表情の変遷は、吸血鬼を煽る媚態のひとつにしかならない。

愉しげに声を出して笑い始めた男の手の力が緩んだ瞬間を見計らい、ここぞとばかり力一杯男を蹴り上げると、女主は男が手を放した一瞬に身を振りほどき、部屋の扉へと急いで逃げるのだった。


扉の前で乱れた衣服を直す女主を見ながら、この漆黒の部屋の住人の男は、それは秀麗な女を蕩かすような極上の笑みを浮かべていた。

「我が主は、あの男に触れられるたびに、私との情交を思い出していたという訳か。それは何とも素晴らしい!」

下僕は、この誇り高い女が珍しくも若く秀麗な男に気を許して情を掛け、褥に人の男を招き入れていたのではないか?と、疑っていたのだ。勇敢で剛毅だが、繊細で美しい女の素顔を垣間見て愉しむのは、下僕である自分だけの権利だと思っていたのに、その権利を別の男に侵犯されていたのかと、内実は腹を立てていたのだ。

だがそう言われれば―― 確かに、あの男の容姿は、自分に似ているかもしれない。今になって思えば、声も自分が持つものと似通った人間にしては随分と魅惑的なものを持っていたように感じる。

今まで自分が磨いてきた女の器の、艶をかもし出すようになった部分を、医務室で無粋な男どもに盗み見られていたことには腹も立つが、まあ、それは仕方なかろう。醸し出されるようになった女の色は、どうやっても少しくらいは外に洩れ出ようというものだ!

アーカードはそう考えると、愉しげにクツクツとそして艶やかに美しく笑う。


「何が素晴らしい、だって?!この淫乱吸血鬼ッ!!もう、お前なんぞ知らんッ!私は帰るぞッ!!」

迷惑なことに、自分に対して占有欲と所有欲をもって接する下僕が、何かしら看護士の男に邪念を持って接したことが、今回の事態になったらしい―― 女主はそう悟ったが、そんな迷惑な化け物の思慕など深く知りたくもなかったし、理解したくもなかったインテグラは、怒った顔をして下僕を睨む。

そして、自分を翻弄し、狼狽させるこの男の領分にこれ以上居ることに耐えられなかった彼女は羞恥で頬を染めたまま、その漆黒の部屋の扉を音高く閉めて、地下室を後にしたのだった。


その部屋の住人である吸血鬼は妖艶な笑いを浮べたまま、深々と礼を取って主を見送った。そして鼓動を刻まない死人の胸にはいまだ、主人から賜ったトスカのキッスが深々と残っていた。

「さしずめこれは、主からの熱烈な接吻だな。この賜り物は今宵、薄絹の天蓋で覆われた褥で眠る主の許に、返しに行かねばなるまいなぁ」

女主に触れてよいのは自分だけだと確信している齢五百年を超える化け物は、その妖艶な笑いをさらに深くするのだった。


その夜、腹から背にかけて剣を生やしたまま、屋敷を移動する吸血鬼を目撃した者は皆、瞠目し蒼白になった。

何故、剣が突き刺さったのか?

どうして、その剣を抜かないのか?

皆、勝手銘々、夢想し、妄想し、想像したが......

誰一人、それを嬉々として目を光らせている機嫌の良さそうな吸血鬼に問えるものはいなかった。

ただひとり、それをホールの階段で目撃した隻眼の男だけは、『うわぁぁ~ッ!!ありゃ、局長から吸血鬼の旦那に贈られたトスカのキッスっていうやつか!?しかしあんなものを大事に取っておくっうのは、旦那も相当悪趣味だなぁ~!』と、ほぼ真実を推測するのだった。


人の噂も七十五日と東洋では言うらしいが、この屋敷に飼われている魔物は人の口に直ぐさま戸をたてる力を有していたようで、その日以来、誰一人として美しい女局長のプライベートな部分の批評をするものはいなかったらしい。


2008.5.1

I BUILT MY SITE FOR FREE USING