※ お嬢様の肌の色が割りと気に入っている従僕


「何をジロジロ見てるのよ、吸血鬼?」

自分が止むを得ず解放してしまったこの吸血鬼は、少女が短い人生の中で知った「魔眼」というものを遥かに超える特段に力を有する魔がしい瞳を持っていた。この男の瞳は常に赤いのだ。紅とも赫とも云えるだろう。

温かみなど欠片もない、凍りつくような赤の視線で自分を見ている、人を誘惑するのに相応しい眉目秀麗な顔の吸血鬼に、インテグラは食って掛かった。

だが吸血鬼は、己を怖れもせずに文句を言いながら睨んでくる、豪胆な少女の海の青の瞳を見ると、口の端をわずかばかり上げて、くくっと声を漏らして笑ったようだ。

何か分からぬが、皮肉っぽいのに不敵な笑いを見せる己の従僕を見て、インテグラは口をへの字にする。自分はこの男から『主人』とは思われていないらしい。

『食事を終えたばかりだと言うのに、この吸血鬼は、まだ腹が満たされないのだろうか?』

『自分の主を獲って喰いたいとでも思っているのだろうか?』

地下で出逢った時は白銀の美しい長い髪をしていた男が、血を飲むたびにその髪を艶やかな深い色彩の黒へと変化させていくのを見てことがあったインテグラは、『この男は、一体どのくらいの量を飲むことが出来るのかしら?どれ程飲めば腹が満たされたと感じるのだろう?』と考えながら、歳に見合わぬ眉間のシワを刻む。

何やら難しい顔をした歳若い主人を見て、今度は明らかに口の両端を引き上げて、微笑を刻んだ男。皮肉気なのに美しいその微笑を見て、インテグラは更に不機嫌な顔をした。

この男は毒を持つ。それは猛毒といって良いだろう。

冷た過ぎる赤の目の瞳孔は、猛毒を持つ爬虫類のそれで、何を怖れることもない高慢極まりないそれは、冷たい身体をソファにくねらせて暫し休息をとる、悪竜のような危険な存在。この男は、少しでも油断したら......あるいは、主人に相応しくない態度を取れば、猛然と牙をむいてその毒で少女を死に至らしめるはずだ。

――いいえ、毒ならまだましだわ

この男には、死人の身体の中に携えている数多の魂を、大河のように解放する究極の力があるのだ。

それは、今は主人となった自分が制御していることになっているが、もし、それが解放されたのなら―― その威力はピンポイントで主要都市を殲滅できる、核弾頭を積んだ巡航ミサイル並の力を振るうだろう。

ただ幸いなことに、この男はイージス艦のように、七つの海を自由に越え、世界の何処にでも行ける―― そんな移動能力が欠落しているのが幸いなのだが。

―― 果たして、私は、本当にそれを制御できているのかしら?

少女はそう思いながら、自分を凍るような視線で見つめてくる吸血鬼を無視することに決め、仕事の続きをしようと執務机の書類へと視線を落とした。

1ページ、2ページと捲り、鉛筆で書き込みをしながら書類に集中しようとしたのだが、肌に突き刺さる氷のような冷たくて痛い視線に集中力を削がれてしまい、結局インテグラは我慢が出来ずに、再びその面を上げる。

そして、やはり黙ったまま、幼い自分の主人を魔がしい赫の目で突き刺すように見ている吸血鬼の顔を見つめると、その魔がしい視線を撥ね返すような毅然とした顔を作り、鋼鉄の意志を込めた青の視線をアーカードの端正な面差しへと据えるのだった。

インテグラは、自分の仕事の邪魔をする吸血鬼を、怒りで明度を上げた硬質な青の瞳で見つめながら「私を見て何が楽しいの、アーカード?仕事の邪魔だわ!私に眼をとめるのは止めなさい、吸血鬼」と硬い声を出す。

美しい青の瞳からサファイヤの破片が飛び散るような彼女の怒った顔を見て、吸血鬼はニィっと口を裂くとこれ見よがしに牙を覗かせて、夜族らしく笑った。

「お前はケダルの天幕か?それともサルマハの幕屋なのか、インテグラ?」吸血鬼が愉しげに紡いだその言葉に、インテグラは一瞬不審な色を浮かべたが、すぐにその頬を紅潮させた。

「お前がっ・・・・・・夜族のお前が、一体、何に例えようっていうのよ、この恥知らず!!」

少女が狼狽した様子を見て、男はさらに皮肉気な笑いを顔に刻む。

「恥知らずとは誰のことだ。私がかね? それともその例えた相手がかね?処女懐胎などとのたまって子を孕んで産んだ女の方が、恥知らずだと私は思うのだが、いかがかね我が主?」男はどこから見ても清廉そのものの初心な少女をからかって、面白そうにクツクツと笑う。

そんな吸血鬼の言葉を聴いて顔を紅潮させ、怒りと狼狽をない交ぜにしながら、何を言って反論していいのか困りきっている少女を暫し眺めて愉しんだ吸血鬼は笑いを止めると、顔から皮肉や揶揄の気配を消し、低い声で言葉を紡いだ。

「『美しい、私の焦げた色に眼をとめるな』と、お前は私に言うのか我が主? お前の陽に焼かれたような、その焦げた色は、吸血鬼の眼を止めたままに出来るほどの、美しい色合いだと思うがね、お嬢さん」

陽に焼かれることを忌む男が何を言うのか!!と、口を開きかけたが、顔をさらに紅潮させた少女は、プイっと視線を吸血鬼から逸らした。

この肌の色は、自分が自分である証なのだ。

亡くなった父も、イギリス紳士そのものの執事も、この屋敷に仕えてくれる者も、皆、キメ細やかで美しい色合いの肌を褒めてくれる。だが、屋敷を出れば、それは嘲笑や侮蔑、差別の対象で、このイギリスの貴族階級にあっては、それは決して好ましい肌ではないのは事実だった。

だが、この吸血鬼は、その肌を美しい色合いだと言ってくれた。

それは、揶揄している口ぶりでも皮肉めいた口ぶりでもなく、そのまま受け入れられる言葉だった。

この吸血鬼は、褐色の肌の女が身近にいる異国の生まれなので、こんな肌の色には抵抗がないだけなのかもしれない。あるいは、歳経た吸血鬼が弄する、女を誑しこむ為の策略なのかもしれない―― そう考えてみたインテグラだったが、元々生真面目な性分の彼女は、視線を自分の従僕から少し逸らしたままで「・・・・・・ありがとう、アーカード。私の肌の色を褒めてくれる人ってそう多くないから、嬉しいわ」と、小さい声で礼を述べる。

「でもね、気になるから眼をとめないでくれる?お前の視線は強過ぎて、眼を止められると気になって仕方がないのよ、アーカード」しかし、礼を述べた後の、従僕への要請は、はっきりとした口調で主張したインテグラなのだった。

清廉で生真面目なのに剛毅な女主人が、再び熱心に仕事に向かった様子を時折盗み見るようにしながら、男は愉しげで満足そうな、あまり害のない微笑を口元に浮かべるのだった。


「イスラエルの娘たちよ。私はケダルの天幕のように、サルマハの幕屋のように黒いけれども美しい、私の焦げた色に眼をとめるな。私は陽にやけた」(旧約聖書・雅歌)


黒の聖母

△山形県鶴岡市 鶴岡カトリック天主堂 黒のマリア像(09.09.10撮影)






2009.9.11のブログを若干修正、2009.9.17

----------------------

仕事の帰り、待合い時間にフラリと立ち寄ったカトリック教会のマリア様を拝見した時に浮かんだ妄想。

「黒の聖母」と言われるマリア様のお顔の色はどちらかと言えば褐色と言うかカフェオレで「ああ、きっとグラさまもこんな感じの肌なのかもしれない」と。そんな妄想小話です。

I BUILT MY SITE FOR FREE USING