仕事が忙しく、ハイティーもとれなかった日の夜更け、女は自室に戻ると倒れるようにソファに腰を下ろす。

―― 何か食べなくては、体が持たない。明日もこの調子できっと忙しいだろう

職務に忠実な女は、身体を維持するための「食べ物」を何か口に入れようと考えた。

確かメイドが生ハムとフルーツを切ったものを冷蔵庫に準備していたはず。それを思い出すと、重い体をなんとか動かし、冷蔵庫から綺麗に盛り付けられたその皿を取り出した。

そして、ワインセラーから取り出したのは、サンテミリオン産の赤ワイン。メドックと双璧を成す、赤のワインを産するサンテミリオンの中でも、特に好みのものをインテグラは取り出した。

いつもは空気を含ませて、ワインの味を落ち着かせてから飲むのだが、疲れた体を引きずる彼女に正直その余裕は無い。

コルクが硬かったせいで、いつもよりやや乱暴に栓をあけた彼女は、それでもオリが浮かないよう静かに慎重にグラスへと注いだ。

色と香りを楽しみ、口に含む。そして口の中でさらに転がして味わい、鼻腔でその深い味わいを堪能しはじめた。こうなると、「食べる」ことより「飲む」ことのほうに、女の意識が集中してしまう。

あっと言う間に1杯目のグラスを空にして更に注ごうとした時に、壁をすり抜け従僕の男が主の部屋に侵入しようとするのを、彼女は見とがめた。

「・・・・・・帰れ」

疲れた女は唯ひとことだけ冷たく男に言い放つ。その瞳は、冷え切った冷たい炎の青。もはや、ノックをしろとか、ドアを使えとか、そんな小言を言う気力もないらしい。

普段誰がどこで見ているかわからない場所では絶対に疲れた様子などみせないヘルシング機関の長の女が、今日はその疲労をさすがに隠せない様子だったのが珍しく、性悪な男は主をからかいにやってきたのだ。

「なんだ、疲れてる様子だったがそうでもないのだな。ワインを楽しむ気力はあるらしい」男は口元に笑みを刷き、つれない主を眺める。

「飲んでるんじゃない。『食べて』るんだ!」

インテグラはそう言うが、生ハムにも芳香を放つラ・フランスにも全く手はつけていなかった。

―― どう見たって飲んでるだけではないか。食べていないだろう?

そう思った男は、「お前は、食欲はなくてもいん欲は旺盛だな」と女を揶揄した。

その男の顔を見ながら、眉根を寄せ、さらに眉間にシワを寄せたインテグラは、憮然とした口調で、「吸血鬼のお前に揶揄されるような、そんな淫欲などもっておらん。」言い放つ。

その女の顔をしばし眺めてから、吸血鬼の男は片眉を器用に跳ね上げた。

「お前が旺盛なのは『飲む』欲だ。いったい何だと思ったんだ?」

「あぁ~~そっちか。いん欲といったら普通に『淫ら』な欲だろう。まぎらわしい」

女は、いかにも下僕が馬鹿だと言わんばかりの顔をして、さらに豊かな味わいの赤い色の飲み物をあおる。

「おい、お嬢さん!普通に『淫ら』な欲とは面白いぞ!お前はどうしてそう面白いのだ。では、私は淫欲を持て余す吸血鬼として、主の期待を裏切らない行いをさねばならない」

そう言うと男は、ニヤリと性質の悪い笑みを浮かべながら、主へと肉食の獣の鋭さと静かさで忍び寄りはじめた

「帰れと言ったろう、アーカード!私は疲れているんだッ!!」

そう言うと女は、長椅子にかけていたジャケットの影から素早く愛用の32口径の銃を取り出すとスライドを引きセーフィティをはずして、トリガーを引く。そして立て続けに六発、全部従僕の額に撃ち込んだ。

「うせろ、馬鹿者が」女は凶悪な顔をして、そう静かに、冷たく言い放った。その口振りは、氷の礫が飛び出すような冷やかさで、ブルーの瞳は炎熱の怒りに染まっている。

「これから快楽の夜が始まるというのに。・・・・・・やれやれ、情緒の無いお嬢さんだ」

かし、こんなことで男が懲りるはずも無い。

額から血を流しつつも、口を耳元まで裂いた凶暴な笑みを浮かべ、従僕は嬉しそうに牙をむいて笑った。


疲れている主に無体なことをしようと心弾ませる従僕と、疲労がピークだと言うのにしつけが出来ず主を悩ます犬との攻防が今宵も始まるのかと、女主盛大に嘆息してみせた。

そんな夜が、ヘルシング家の日常なのである。



2008.1.18のブログより


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