それはオイスターホワイトと言われる、若干アイボリーを含んだ柔らかな白色のスーツ。女主人のためにつられたフランスの名高いメゾンドクチュールのスーツは、オートクチュールらしく体にぴったりと吸い付くようなものだった。
明日行く予定となっている観劇のために着ていくそのスーツは、今、主の私室でメイドの手によって女主人に着せられていた。服の出来上がりと靴やアクセサリーをコーディネートした最後の点検のためだったのだが、女主人は憮然とした表情のままだった。

この主人は、普通の女が快楽と感じる装飾品で身を飾ることを疎ましく思っている。疎ましいというか、正直言って面倒くさいし嫌いなのだ。

―― こんな動き難い服を我慢して着込んで、男に鑑賞させるために着飾るような行為に何の意味があるというのだッ!

憮然としたままの主の姿に、年老いたメイド頭と優雅な佇まいのレディス・メイドが話し合いながらアクセサリーを合わせていく。
メイドたちは、やはりブルーダイヤがいいだろうと8カラットのハートシェイプカットのネックレスを手に取ったところ、当主の女は無言で首を振って嫌だという態度を示す。
たぶん昼の観劇なので、派手なものは控えたいと思っているのだろうと思ったレディス・メイドは、ではと、もう少し小ぶりな4カラットのマーキーズシェイプのネックレスを手に取った。
今度の女当主は、首は振らず憮然とした顔つきのまま睨んでいるだけなので『まずは、これで良さそうね』と、メイドたちは判断する。
その人差し指の爪くらいの大きさをした4カラットのブルーダイヤのネックレスを主につけると、それに続き、お揃いの長めのチェーンに揺れるイヤリングを主につけて点検する。
こうやって見ると、当家の女主はやはり美しい!!と、満面の笑みでメイドたちは女主を眺めた。

まず、アクセサリーまでは済んだが、あとは靴。
部屋には所狭しと、色んな靴が並べられていたが、持ち主の女から見ればどれもこれも同じに見えて、全てはき難そうで、尚且つ食い込んで痛そうとしか思えない代物だった。
「早くしろ。もういい加減、飽きてきたぞ」
当主はいらいらとしてそう言ったが、メイドは容赦なかった。
軍部トップクラスの男との観劇なのだ。いくら根回しと顔つなぎの職務の一端、単なる付き合いとは言え、「無様な恰好をこの美しい当主にさせる訳には行かない!」と、そう決意しているレディス・メイドは、美しい足首を持つ主に合わ手早く靴を選び出す。
この甲高の足を持つ主には、イタリアの靴ブランドより断然今の流行の先端をいっている東洋系アメリカ人が率いるブランドの靴が似合うと確信していたメイドが迷わず選び出したのは、バックバンドのクロコダイルの革をブルーに染め上げて作った、サイドオープンの10センチヒールだった。
それを見た主は、「サイドオープンは歩きにくいから、嫌だ。」といって、眉間にシワを寄せる。
では、オープントゥのストラップ付きがいいだろうと思ったメイドは、次にブルーのサテンで出来たストラップ付きのプリーツがついたこれも10センチヒールを取り出す。
すると今度は文句も言わず、またも主の女はそれを宿敵の化け物のように睨むだけだったので『睨むだけってことはOKということね』と悟っている彼女たちは、主の足にそれをはかせてみるのだった。
それは女主の引き締まった足首と、優雅な曲線のふくらはぎを引き立てる絶妙な靴だった。しかし残念ながらロングスカートのため、その美しさは控えめにしか晒されていないが。

服と宝飾と靴。全てがバランス良くあっており、自慢の主を引き立てている。それを確認したメイドたちは、さらにコートを選ぼうとする。

「おい、もういい加減に開放しろ。コートなんて何でもいいだろ。いつものやつで十分だ!」
女主がそう憤っていると、メイドはその上に膝丈の毛皮のコートを重ねる。それはロシアンリンクスのベリー部分だけを使った極上の毛足を持つコートだったが、この女には毛皮の手触りですらも官能を与えられないようだった。
肩に掛けられた毛皮はこの女の豪華さを引き立てていて、それを見たメイド頭は自分の主の美しさに惚れ惚れしていたのだったが、それでも全く無関心な当主の女は無下に冷たく言い放つ。
「こんなコートは嫌だ、絶対に着ない。動物愛護団体から卵を投げつけられるぞ!」
それを聴いたメイドたちは「そんなご時世でございますからねぇ~」と苦い顔をして頷く。では替わりにものをと、メイドたちがクローゼットへと振り向いた瞬間だった。
低い男の声で、この女の戦場と言った部屋の様子を揶揄する声が聞こえたのだった。

「何なんだ、これは?いったい何のための着せ替え人形ごっこだ?」
振り向いたクローゼットの前には、緋色のコートに昼色のサングラスを身につけた漆黒の髪を持つ巨躯の男が立っていた。
メイドたちはその異形を見ると、顔を青ざめさせて息を呑む。だが女主はメイドたちとは対極の、珍しくぱぁっと花が咲いたような笑顔を浮べた。
しかしそんな華やかな笑顔の女主とは真逆に、隣に立つメイド頭の狼狽と恐怖は酷くついには呼吸も忘れて硬直したままばたりと床に膝をついてしまう。
『これでは、老齢のメイド頭が死んでしまう!』と気が付いたインテグラは、メイド頭を抱きかかえると背中をさすった。
「馬鹿か、お前はッ!こんなに使用人を驚かせてどうする!」
自分は満面の笑みを浮かべていたことを棚に上げ、今は従僕を罵倒しつつ、インテグラは顔を蒼白にして固まっているメイド頭とレディス・メイドを引っ張るようにして退室させようとした。
そしてそんなの主の顔には、実は面倒くさい大嫌いな着せ替えごっこから開放される喜びが、わずかながらに漏れ出しているのだった。

インテグラから「いいか、ゆっ~くりと息を吐いて、そう、そして次は大きく息を吸うんだ」と背中をさすられていたメイド頭はようやく我に返ると、レディス・メイドに手を取られよろよろと歩みだす。メイドたちは酷く緊張しながら目を合わせないように吸血鬼に礼を取り、主の指示のままに部屋を退出しようとした。だが、年老いたこの屋敷のメイド頭は、震え声ながらもインテグラへと釘を刺すのを忘れなかった。
「お、お嬢さま、お洋服は脱いだらシワにならないようハンガーにかけて下さいませ。そして絶対に汚すことなどございませんよう。それは、オートクチュールでございますよ」と。服飾ではズボラな主に青ざめた顔でそう言ったのは、さすがヘルシング家のメイド頭だと言えた。


メイドたちを追い出すことに成功した女主人は、珍しい満面の笑みで両腕を広げて従僕を歓迎した。余程、この着せ替えが苦痛だったらしい。

「絶妙のタイミングで現れてくれたのには礼を言うぞ、アーカード。ありがとう!さすがは、我が従僕だ。お前はこう言う時だけは使えるな。で、何か用なのか?」
女は普段にはないにこやかな顔で大きな従僕を軽くハグするという最大級の特別恩賞をアーカードに与えてから、そう尋ねた。
服飾に全く興味の無い女だけに、この衣装合わせは余程苦痛だったらしいな......そう悟った男は、こう言う時だけ妙に、にこやかに自分を迎える主の現金さに些か不満げな顔を作る。この女は普段は絶対に従僕のことなど歓迎などしないのだ。
「上手く利用されたな」と、男は小さく呟いたが、それは主には聴こえないようだった。でもそれは、この男が普段、歓迎されない悪しき行いばかりをするからなのだが、従僕はそれに気づいても居ない。
しかし少々不満げながらも、女主の温かい抱擁を受けたアーカードは不愉快なはずもなく、従僕は今日はにこやかな顔つきの主をしげしげと眺めた。

それは白のひとつボタンのジャケットに白のロングスカートと言ったいでたちのヘルシング卿だった。
ジャケット丈は短めで、その細いウエストと痩身の割には豊かに前に張り出したバストを強調しており、襟も広く開いていて艶やかな蜂蜜色のデコルテがとても美しかった。
襟元から覗く胸元は、二つの谷間がくっきりと作られていて、この女が美しい肢体を持っていることを暗示していた。
そして形良く張り出したヒップを強調するマーメードラインのスカートはとても長く、くるぶし近くまであり、一見歩きにくそうだったのだが、良く見ると前に深いスリットがついており、そこから女主の美しい足が覗いている。
それは品があるのに煽情的という二面性をあわせ持ったスタイルに女を仕立てていて、羽織る毛皮のコートはその女の豊かな感性に満ちた肢体を「姿態」に仕上げるエッセンスの役割を果たしていた。
そんな姿の美しい主が、めずらしくにこやかな顔を作っているのである。
例え別用だったのだとしても、この男の用事は「それ」ひとつしかなくなるだろう。

主を上から下まで眺め回していた従僕は、「主どの、いったいそんなものを着て何処へ行こうというのか?」、冷たさを含んだ声で訊く。
どう考えても、この主の姿を大勢の男の目にさらすのは、吸血鬼にしてみれば癪に障ることだった。
「ああ、これか?」
主の女はそう言うと、毛皮のコートを肩からするりと落とし、自分の姿を見下ろす。
「これは明日の観劇のためのものだ。明日は昼、オペレッタを観る。昼の観劇だし、格もオペレッタなのでこれで済んだが、夜のオペラだったらソワレの装いをさせられるところだったぞ」
女はそう言ってため息を落とし、葉巻をとろうとデスクに歩み寄る。
女が歩くたびに、そのスリットから煽情的な太腿と膝頭、そして引き締まった美しいふくらはぎがのぞき、大層福眼といった眺めになるのであったが、これが昼に、それも劇場で多数の人間に晒されるかと思うと、支配欲が強い従僕は憮然とした。

「誰と行くのだ?」
そう訊いた男の表情から皮肉な笑みが消えていたが、女主は男の憮然とした気配に気付くはずも無い。もともとその方面では恐ろしく鈍感なのだ。
「オペレッタへか?軍上層部の男とだ。普段の根回しにも使えるし、武器の調達にも役立つ男だから、顔を繋げておく事が必要な男だ。オペレッタに誘うなど考えられんような厳しい(いかめしい)硬い男なのだがな。まあ、自尊心の高い男だから断って面目を潰すのも不味いだろうということで、明日行くことになった。ついでに今度軍に配備する武器の情報も手に入れてくる」
女は、明日の軍務に特化した男との交渉に思いを馳せながら葉巻を手にし火をつけた。独占欲が強い化け物のことなど、もうまるで頭の中にはないという様子だ。

「そのスーツでは、行くことなど許さん。」
男が何時の間にか後にいて、自分をはがい締めにした時には、もう遅かった。女の手から葉巻を奪った男は、主を後から完全に拘束する。

「許さんって、お前、従僕が主に向かって何を言ってるんだ?馬鹿か、お前は。それにこんな事を主人にするなんて、放せ、馬鹿ッ!」
普段とは違う服を着てすこぶる動き難い上に、男の怪力にはがい締めにされているのだ。インテグラは全く動きようがなかった。

「男を覚えた途端、そんな煽情的な服を着て男漁りとは呆れた女だ、お嬢さん。」
そう言った男は洒脱にデスクに腰をかけ、体に腕を回して拘束した主の体をくるりと自分の方へ向けた。
体を回された10センチのピンヒールを履いた女は、まともに立っていられずに、従僕の腕(かいな)に倒れ込む。そして長い腕の輪の中に絞めつけられた主は、抗議の声をあげた。
「男漁りとは何だッ!!これも任務だ!お前がいつも甚大な破壊活動をしなければ、根回しも半分で済むんだ馬鹿者ッ!!」

―― それに、男を覚えた途端って何なんだッ!!お前が勝手に覚えさせたくせにッ!

腹が立った女は、顔を上気させて男の足を蹴ろうと試みるが、その途端、男がグローブを外していた手をスリットへ忍ばせる。その冷たい衝撃に肌を粟立たせた女は、ひゅっと息を飲んだが男はお構いなしにその艶やかな脚を撫で上げた。

「こんなに深いスリットが前にあるスカートなんぞ、ここから手を入れてくれと言っているようなものだぞ。そして、胸元から谷間が覗くような襟元では、覗き込んで触れてくれと誘っているようなものだ。そんなに男を誘ってどうするんだ?私では満足できないという、あてつけか?」
男は、冗談とも本気ともつかない声でそう言って、さらにスリットの奥へと手を進め、もう片方の拘束している腕をぐるりと回して、その手の指先で胸の谷間をなぞり出す。

コートを着た男の手の進入を許したスカートは引き攣れてシワを作りつつあった。
それを見た女はさすがにメイドの憤慨した様子を思い浮かべ、この服に何かあったら明日また衣装合わせの地獄があるかもしれない予感に『やばいッ』と舌打ちをする。
本来、服のシワの心配をしている状況ではないのだが、これにシワを作ったりスリットをほつれされたり最悪服を汚したりして、明日また一から着せ替えごっこさせられるかと思うと、さすがにそれは嫌だった。
『この暴挙を止めなければっ!』と考えた女は、必死に従僕を説得しにかかる。
「いいか、アーカードよく聴けよ!このスーツにシワや汚れをつけてはいかんッ!私はもう衣装合わせはこりごりなんだ!だから明日の観劇はこの姿で行く。お前が何と言おうとも、この姿で行くッ!絶対にこの服で行くんだ!分かったか、従僕?! それから私についての心配はいらんよ。護衛をつけるから安心しろ。まずはシワがついたりほつれたりする前に手を放すんだ、アーカードッ!」
血を吸う鬼に鬼のような剣幕でまくし立てる女主に、従僕はいささか気圧されたようだった。
だがこの男は、性悪なのである。内心、ニヤリと笑った従僕は、優しげな声で主の耳元で囁くのであった。

「では主殿、このスリットから手を退ける代償として、明日私を護衛につけろ。もちろん、お前の影に潜むさ。それなら、かまわんだろう?」
「何で、主の私がそんなことでお前に代償を払わなくてはならんのだッ!そもそも、おまっ!やめえぇぇっー!!」
スリットが裂けるのではないかと思うほど、さらに手を入れてきた従僕に主の女は、声を荒げる。
「わ、わかった、認めようッ!しかし、私の命令がなければ、絶対にこちら側に出てきてはならんからな!!おいっッ、だから放せ、この馬鹿者ッ!!」
スリットが裂けるのではないかと思った女はハラハラしながら、従僕の手管に翻弄される。そして結局は護衛OKの許可を出してしまうのだった。

手をさわさわと後退させた男は、それでもやはり腹黒い。この男は悪魔なのだ。スーツに気をとられてアワアワしている主を見逃す筈も無い。
そして、妙に艶やかな美しい笑いを作った下僕は、その顔とは裏腹な下劣な要求を、内心ニヤニヤ笑いながら低く告げるのだった。
「では、今晩の遊戯はベッドではなく、パウダールームを所望したい、我が主。それも我が主が自ら服を脱いでいただけると大変嬉しいのだがね」
その意図に気付いた女は顔を紅潮させて、下劣な下僕に食って掛かった。
「馬鹿か、この淫乱吸血鬼ッ!!あんな鏡貼りの化粧室で何をするつもりだ、この変態ッ!あの部屋の鍵は絶対に開けないし、お前にも渡さん!!一体何を考えて、パウダールームなんぞにぃぃぃーーーッ!!」
下僕に悪態をついていた主の女は、その光景を見て、『ひぃーーッ!』と内心悲鳴を上げる。
「おっと、我が主の葉巻の灰が落ちそうだ。」
なんと、下劣な男は灰皿に置いていた主の葉巻を持ち上げて、ニィッと人の悪い笑みを作った。
これは完全に焦げるッ!!焦げるというか、オートクチュールに穴があくだろうがッ!!!
そう思った女は、一度も着る機会が無く葉巻の灰で焦げつかせたオートクチュールを見て絶望したのちに、怒り狂うメイドたちとその後の自分の惨状を想像し、項垂れて呟く。
「......鍵は引出しの上から二段目の奥だ、この豚野郎ッ!」女は、淑女らしからぬ罵声を浴びせ、プイッと横を向く。
それから「絶対に、自分では脱がんぞッ!誰が、お前のために脱ぐか、この馬鹿!!」と真っ赤になって宣言したのであった。

愉しくってたまらない悪魔は、「承知しよう、お嬢さん。ただし、後で『自分で脱ぐ』と言っても、私はその権利を譲らんから、後悔するなよ。まあ、スーツは汚さないから安心しろ」と不穏な発言をして、葉巻を灰皿に戻してからクツクツと声を出して笑い出す。
本当は、内心哄笑を上げたいほど愉快だったのだが、そんな素振は見せない性悪で典雅な吸血鬼は、とても優雅に主を軽々と抱え上げ、そのままの体勢でデスクの引き出しからパウダールームの鍵を取り出すと、今宵は主の躰を存分に愉しむべく鏡貼りの化粧室へと歩き出した。

「まさか、パウダールームに鍵をつけるとは思わなかったぞ、我が主。それも私が壊さないように封印までかけるとは念が入っている。あの夜、啼きながら我を失って、痴態演ずる己の姿を鏡に映しながら快楽を貪ったのが余程悔しかったのだな」
そう言って妖艶に笑いつつ、自分を抱きかかえて歩く従僕を睨みながら『こんな拘束着のような身動きできないスーツのせいで、何と言うザマだっ!!』と女主は、歯がゆい思いをするのだった。


そして、「・・・・・・やっぱり、自分で脱ぐから手を放せ!」と叫んでも開放しない従僕に、『絶対に、自分では脱がんぞ』と言った事を後悔することになるインテグラなのであった。





2008.3.13のブログより
「前にスリットが入ったスカートなんぞ...」と暴言を吐いたBOSSの名台詞(?)から、生まれた妄想

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