今日は久々に、師匠の屋敷へと行くことになっていた。


いつもはヘルシング家に来て貰ってプライベートレッスンをしてもらう当主なのだが、「たまには、私の屋敷にもいらっしゃいな」という彼女の勧めもあり、任務関連で顔を出さなければならなかった軍関係者のオフィスに寄った後、師匠の屋敷へと彼女は立ち寄った。

「お持ちしましょう」という運転手の申し出を断り、自らメタリックな渋い赤のマロン色のケースを肩に担いで四季の花々が美しいアプローチを歩んだ彼女は、扉の前に立つとチャイムを押そうとした。するとそれをも見計らっていたように、エントランスからこの屋敷の執事が現れて挨拶をし、レッスンルームへ続く渡り廊下へと案内をしてくれるのだった。

防音室となっているレッスンルームに続くその渡り廊下の入り口で執事と別れ、今までも何度か来たことがあるその部屋へと足を一歩進めたとき、彼女はイーゼルに置かれた小さい黒板に気付いた。


『ここは音楽を学ぶ場です。みだらに歩き回らないこと』


「みだらに、って何だ?!」そう呟いた彼女は、目を見開いて立ち止まる。

いったいどのようにしたら、「淫らに歩く」という事になるのだろう?

服装のことかしら?誰か淫らに近いセクシーな服を着てきた生徒がいて、品性高い気品のある師匠を怒らせたのかしら?

そう思った彼女は自分の姿を点検する。

白のシャツにリボンタイ。濃いグリーンのトゥラザースとジャケットの姿は、たぶん「淫ら」とは違うものだと思うのだが・・・・・・

そんな彼女は、また違うことを考えた。

「淫ら」と言うのは、歩き姿がだらしない、品性を欠いた立ち振舞いをする者のことだろうか?

それを意識したインテグラは、渡り廊下を二十歩ほど歩いてみる。

すらりと背が高い彼女は、その服装に合わせたように、歩く姿も清々しく凛々しい。これはもう、すでに男前の域に達している。

多分、歩く姿勢に関しては「淫ら」と言うものには該当しないだろうことは、インテグラは自分でも分かった。

では・・・普段の行いや、人間性の内面の問題だろうか??

彼女はそこで、ハタと思い当たる。気品漂う淑女の師匠のことだ。きっと人間の内面性のことを意図して、あのような黒板を置いたに違いない。

そして、不本意とはいえ、昨日下僕が自分に対して行った、悪質なセクシャルハラスメントを思い出して赤くなり、そのあと青ざめる。

―― 最近、下僕の淫らな悪戯がエスカレートしているのは確かだ。昨日だって、抵抗の甲斐もなく、あの馬鹿にいいようにあしらわれてしまったのだ。不本意ながらも、感じてしてしまった私は女としての内面が淫らになっているかもしれない?!

しかし、本当に人間の見た目で、内面の淫らさというのを測れるものなのか?

彼女は珍しく緊張しながらレッスンルームのドアをノックして、部屋へと入るのだった。


インテグラのは師匠に挨拶をしてから、思い切って彼女に尋ねてみた。

「先生、『みだらに歩き回らない』とは、どういうことでしょう?服装なのですか?それとも歩く姿勢なのでしょうか?それとも人間の品性関する内面性を指摘しているのですか?あのぉ・・・・・・先生から見て、私は淫らな行いに耽溺するような、品性のない女に見えますか?」

ヘルシング家当主は真剣な眼差しで、柔和な顔の落ち着きある淑女の師匠を見つめる。彼女は戦の駆け引きや、戦略を駆使した知略は練れても、こういった分野にはまるで疎いのである。魔術と宗教には造詣が深くても、こういう場面では直球勝負しかできない女なのだ。

その彼女を見て、歳経た師匠は一瞬ぽかんとした表情を浮かべた。そしてしばらく思案した後、はっとした顔をしてから、それを柔和な笑顔へとかえると、若い彼女に優しく語り掛けた。

「・・・・・・ねぇ、あなた。帰りでよいから、もう一度あの黒板をよく御覧なさい。あれは『みだらに』ではなく『みだりに』と書いてあるのよ。

それはそうと、とうとうあなたもそう言うお付き合いをする殿方があらわれたのね。あなたはそう言うお相手が出来ても、全然淫らにみえなくってよ。そしてそれは音楽にとって素晴らしいことだわ。きっと音色にも磨きがかかって、艶が増すわね」

彼女の師匠はそう言うと、インテグラにウィンクして見せたのだった。


真っ赤になって反論しようとするも、そんなことにはお構いなく、彼女の反論を一切封じてレッスンを開始してしまうツワモノの淑女。彼女の動揺の原因がどの辺から来るものなのか、お見通しなのであった。


レッスンが終わった後、歳経た淑女は彼女にささやいた。

「今度プライベートレッスンに伺ったときは、是非その殿方を私に紹介してね」と。

―― 誰があんな馬鹿を紹介できるかッ!!と言うか、そもそもあいつはそう言う相手じゃないッー!!

内心そう叫びつつ、優しいが押しが強く、人の話を聴かない師匠に、あいまいにインテグラは頷いた。

傲岸不遜な下僕の顔とその振る舞いを思い出し、顔をほんのり上気させて脱力しながら、やけに重く感じるケースを背負ってレッスンルームを退出する彼女だった。



2008.2.2のブログより

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